高杉晋作没後150年記念事業〜 晋作の夢、仲間たちの夢、今を生きる私たちの夢 〜

【福岡市/平野一枝】

「暢夫(晋作)の識を以って、玄瑞の才を行ふ、気は皆其れ素より有するところ、何おか為して成らざらん。
暢夫よ暢夫、天下固より才多し、然れども唯一の玄瑞失うべからず」(高杉暢夫を送る叙)
「村塾の双璧」「松門の竜虎」
高杉晋作の永遠のライバルであり、一番失いたくなかった友と言っても過言ではない「友」と言えば久坂玄瑞なのではないだろうか?
幼少期「吉松塾」という寺子屋からの長い付き合い。松下村塾に晋作を誘ったのも玄瑞であった。(諸説あり)松陰は学問の足りない晋作に玄瑞をライバルとして宛がうことで、晋作の学力を伸ばした。やがて、村塾の皆も晋作に一目置く様になり、晋作も玄瑞もお互いを認め合う仲になる。安政の大獄に松陰が倒れた後、晋作と玄瑞は師の意思を引き継ぎ、村塾の仲間たちを牽引して行く・・・。

繊細な晋作にとって、玄瑞は大きな拠り所でもあったようで、「手紙の返事がなくて寂しい」だのとまるで恋文のような手紙を送ったりもしている。玄瑞もまた晋作を理解し、晋作の気ままな行動にも「晋作のような有識者は、何年か後に大仕事をするものだ」と見守っている。英国公使館焼討も玄瑞は反対だった。二人は大激論の末、玄瑞が折れ実行に移す。晋作の頑固さに比べ、玄瑞は自論は述べるが最終的には大勢の赴く方へ従うという性格。「自ずから人に愛せらるるは、潔烈の操、これを行るに美才を以ってし、且つ頑質なきが故なり」と松陰にも評された玄瑞のこの性格。蛤御門で自刃という最後を迎えた所以なのかも知れない。

玄瑞の死後、「高杉には後に残って大仕事をして貰う」と後を託された晋作はまさに命懸けの大仕事を次々に行っていく。その数々を見る時、「玄瑞だけは失ってはならない」という師の言葉が「久坂を止めることが出来なかった。死なせてしまった」という思いとなり常に晋作に付き纏っていたのではないか?と思えてならない。

松陰の実践力を引き継いだのが晋作ならば、松陰の思想を引き継いだのが玄瑞だったのではないか?
「晋作の識。玄瑞の才」この二人のどちらが欠けても「竜虎」には為り得なかったのである。