高杉晋作没後150年記念事業〜 晋作の夢、仲間たちの夢、今を生きる私たちの夢 〜

【萩市/鈴川進】

晋作にとって久坂は親友以上の気持ちがあったように思われます。若いときの友情は,ときとして恋愛 感情をともなうようですが、久坂が自決したあとの晋作の手紙をみると、恋人を失うような悲痛な叫びが 感じられます。二人は、なにからなにまで正反対ですから互いに強く惹かれたのでしょう。家庭環境もかな り違います。保守的で穏健な父小忠太に、世の中は静かに、こつこつと真面目に、面白くなく生きるのが 正しい道なのだと諭されつづけていた晋作に対し、久坂は年の離れた兄玄機に世の中のためには自分の 命などどうでもいいのだ、今こそ立ち上がるときだなどと教えられます。そして、松陰先生に出会うことに なります。日本の将来を強烈に心配していた、この憂国の人は、この二人のずば抜けた才能をすぐ見抜き、 大いに期待することとなるのです。松陰先生は喜んだでしょう。「このふたりが自分のそばにいれば、私の 心配は杞憂に終わり日本の未来は明るく輝けるものになる。」確信に近いものを彼は感じたでしょう。この 田舎の松本村から日本を変えるのだと心の中で叫んだことでしょう。それほど、このふたりの能力は、ほか の若者とは懸絶したものでした。そして、この竜虎を鍛えに鍛えます。ときには突き放し、時には競わせ、 自分の同志として見事に成長させ、京都、江戸に竜虎を解き放ったのです。徳川幕府は、この20代の若 者に手を焼きます。ここで面白いのは、毛利敬親の心情です、本来体制派であるべきはずの殿様が、はね っかえりともいうべき、この若者たちの造反を喜んでいるみたいなのです。これは長州独自の立場のゆえ でしょう。関ケ原で一敗地にまみれ、それ以後250年以上徳川から苛めに苛められた長州心ということ なのでしょう。同じように、虐め続かれた藩がありました。薩摩です。この二藩は徳川に恨み骨髄に達して いて、いつか倒してやると臥薪嘗胆していたのです。そして、やっとチャンスが巡ってきます。ペリ-が軍艦を 引き連れて、幕府に恫喝し始めたのです。明治維新は薩長の徳川幕府に対する恨みが重要なポイントだと 私は考えています。話が久坂、高杉から離れましたが、ともかく、幕藩体制は久坂が反乱ののろしをあげ高 杉がとどめをさしたともいえるかとも思います。最後に久坂の優越性は幕藩体制のあとの青写真を持って いたとゆうこです。他の志士たちは、倒した後にどのような新体制をつくるべきか、まるで考えていなかった のです。そもそも、西郷達は、まさか幕府が倒れるとは思っていなかったようです。まだ幕府が盤石のころ 久坂は武市半平太の手紙を持ってき来た龍馬に、こう述べています。「明日の日本を作るためには,我が藩 も貴藩もつぶれても苦しからず、これからの日本は身分に関係なく草莽崛起の志をもった人間がリ-ド すべきだ。」この話を聞いた龍馬はすぐ脱藩を決意します。