高杉晋作没後150年記念事業〜 晋作の夢、仲間たちの夢、今を生きる私たちの夢 〜

【山陽小野田市/香川真澄】

片野十郎は仲間やグループにひとりは欲しい、卒のない、小才の利く、じつに重宝な人材でした。調べたことはありませんが、ネズミ年生まれではないでしょうか。

十郎は天保六年に生まれて明治六年に没した萩藩士で、土屋蕭海の門人、のちに奇兵隊の参謀を務めました。個人としては大きな業績を残していないものの、高杉晋作や山縣有朋の信任も篤く、かれらの手紙や忘備録にちょくちょく名前が出てきます。かの『奇兵隊日記』にいたっては、なんと246回以上も登場し、比較的目につく山縣や赤根武人をも凌ぐほど、いや、ダントツの一番と言ってもいいでしょう。

では、片野十郎はなにをした人でしょう? ざっと拾っただけでも、①吉田松陰の江戸送りのさい護送団に忍びこみ、籠の中の松陰の口述した和歌集『涙松集』と漢詩集『縛吾集』を筆記 ②下関戦争、小倉戦争、鳥羽・伏見・北越の戦いで活躍 ③西郷隆盛と面会する山縣に新潟までお供 ④神戸事件の当日、兵庫でアーネスト・サトウと面談して談話を筆記 そうそう、馬関戦争のさいには、山縣といっしょに仲良く負傷までしています。

 

元治元年の晩秋、身の危険を察して潜伏中の高杉晋作をさそいだして、片野十郎はかれのために、小さな宴席を用意しました。酒に酔い、興に乗じた晋作は、たわむれに俳句を吟じます。

一杯は安多賀乃關之心地な利

句意は、勧められた酒杯に変装したわが身を試されている、安宅の関の弁慶の心境だ、というものです。

同志の気遣いをうれしく思い、感謝しながらも、「潜伏中の身で、こんなことしてていいのかなあ」と、どこか戸惑っている晋作のこころが見えて、ちょっと面白いですね。

十郎はこののち、晋作にとって生涯最後の戦いとなる小倉戦争をかれのもとで戦い、維新後は陸軍の大佐にまで進みます。あまり日の当たることのない片野十郎ですが、けっこうな仕事をしながらも、杉百合之助や桂小五郎、高杉晋作を陰で支え、けっして「美味しいところ」をとることのなかった愛すべき有能な参謀のいたことを、この機会にちょっと思い出してみるのもいいですね。